翻訳というお仕事
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    英子の森」を書いた松田青子さんは翻訳者でもある。


    彼女を初めて知ったのは2017年にBritish Library(大英図書館)で行われたJapan Nowというイベント。そこに翻訳者として登壇されていた。

    そのつながりでこんな本を読んでみた。



    翻訳や通訳を生業としている友人知人はかなりいるが、その中でも翻訳にスポットライトを当てていて、翻訳の中でも媒体や仕事の種類、働き方によって違いがあることが詳しく書かれていて興味深かった。

    会社組織の中で翻訳として働く人の悩みと、フリーランスや自営業で働く人の悩みはそれぞれ違う。が、逆に翻訳者ではなくても会社で働いている人にはその悩みが、フリーや自営で働く人には、その苦労に共感できるに違いない。

    彼らのぶつかった壁は現実に自分が直面しているか、もしくは近い将来似たようなものに遭遇すると考えて、あれば退避の仕方を、なければ打開策をちゃっかり流用させていただこうと思って読んだ。

    ちょっと年上の人たちが異口同音に言っている「体が資本」、これに尽きるかもしれないけれど。
    カテゴリ:本棚 | 05:53 | comments(0) | - | - |
    英子の森
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      主人公の英子は翻訳の仕事をしたいと思いつつ、その階段に足をかけられず、一歩手前で英語を使う派遣の仕事をしているアラサー。



      母と二人で住む家は森の中にある。仕事の時だけ電車に乗って有楽町や銀座などの東京都内にやってくる。このファンタジー設定が理解できずに引っかかってしまう人が案外いるようだが、それはもったいない。もしファンタジーが苦手なら、森は例えばゴルフ場跡地のようなところにあるだと思ってほしい。都心までバスと電車を使えば出られるところにあり、数だって一つのゴルフ場で50ぐらいはできるから、英語を使って仕事をする人が、それぞれの森の中にある家に住んでいてもオッケー。

      そんなことよりも、もっとしっかり見てほしい所がある。

      「英語ができると言ったって、それぞれ千差万別であることを彼女は知らない。英語を知らない人は、英語がちょっとでもできる人だとすぐもう英語ができる人だと思う。どれぐらいの程度で英語のできる人なのかを見分けることができない。」(P.56)
      これはまさにその通りで、だからこそ私たちノンネイティブは何十年英語圏に身を置いていても、常に知らない単語に巡り合うので、研鑽し続けなければいけない。それが非ネイティブの辛いところだ。
      逆に言えば、日本語ができる人だって、それぞれ千差万別であって、挨拶ができればもう喋れると思う人、日本語で新聞を読み、メールを打ち、寝言を言うような人でも本人の自覚している必要性を満たしていなければ、まだまだだと思う人、どちらも「日本語ができる」だが、「どのように」できるかが違う。

      そして英語教育産業の闇。これは、以前、イギリスで数カ月語学学校に通った人が日本で幼児向け英語教室の先生になったが、本のようにどんどん対象年齢が下がり、日本語もままならない子供に教えることになったので辞めたという私の聞いた話と似ている。きっと日本の社会は当時から何も変わっていないのだろう。

      「それお守りじゃなくて呪いよ。私の言葉を呪いにしないで」
      「言葉が呪いになる」とは「逃げるは恥だが役に立つ」を思い出す。

       あー、この箱はすごい!ちなみにそのセリフは9巻。

      呪いの呪縛を解き放ち、自分の森を構える英子。
      頑張れ、と応援せずにはいられない。それは英子だけではなく、彼女と同じようにもがいているすべての登場人物に対して感じる、母のような、教師のような温かい気持ち。
      カテゴリ:本棚 | 07:05 | comments(0) | - | - |
      すべての仕事を紙1枚にまとめてしまう整理術
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        私が読んだのは2011年発行版  キンドルアンリミテッドに入っていれば無料で読めることもあるし、これも明日から即、使えるフォーマットが入っているのだが、もしお金を出すのなら、2016年発行の14のフォーマットが入っているこちらをお勧めする。 新しいだけではなく、もしアマゾンからお金を払って購入するのならこちらの方がどういう訳か安くて、入っているフォーマットも多いから。

        問題はこの本の読み方は「キラー・リーディング」には当てはまらない事。
        日本の企業で働いているわけではないので、本で紹介されているフォーマットがどれだけ各自の仕事をアップグレードさせるのかは皆目見当がつかない。それでも読んでみた方がいいと思うのは、自分とは全く違う仕事をしている人のアイディア(目線)で自分の仕事を客観的、俯瞰的に見ることは案外面白い結果をもたらしてくれるものだから。

        それでも、まずは何か一つ試しに取り入れてみようと思う。
        カテゴリ:本棚 | 04:49 | comments(0) | - | - |
        そこのみにて光輝く
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          佐藤泰志著。 1989年出版、第二回三島由紀夫賞候補。90年作者自死後、この作品を含め、全作品が絶版となるが2007年に作品集が発行されたのを機に再評価が進み、2014年4月には綾野剛と池脇千鶴で映画化 されている。

          舞台は函館。主人公佐藤(もしくは斉藤)達夫が11年勤めた造船所を30歳直前で辞め、パチンコ屋でライターをあげた大城拓児(27)と親しくなる。拓児は住んでいるバラックに達夫を招待し、姉、千夏(29)の作った炒飯を振舞ったことからどんどん大城一家とつきあうようになっていく。

          達夫は最初からずっと拓児に深入りしないように、しないように注意しているのだが、その想いとは裏腹にどんどんはまっていってしまう。まぁ、そういうことはよくある。生命保険会社の夫と結婚した達夫の妹からすれば達夫が身を持ち崩しているようで歯がゆいだろうが、千夏からすれば廃品回収業をしていた父親、収監された弟、売春もありのキャバレーでの水商売から足を洗えて、娘にも恵まれ、アパートを借りて車のある幸せな家庭を築いて、ある意味、玉の輿だったんじゃないだろうか?

          設定は明示されてはいないが昭和の中ごろではないだろうか。大規模なストライキや次々に大手企業に買収されていく地元企業、各地の再開発、土建業の興隆が背景にあったり、登場人物の仕事がそれらを反映している。

          読み始めは西村賢太の「苦役列車」を連想させる肉体労働的な描写が多いが、千夏と結ばれるところなどは解説者も言っているが意外に爽やかだったりする。むしろ西村健太よりも好きかも。
          しかし、特に第二部に入ってから千夏が男にとって「都合のいい女」に見えてきてがっかりした頃に達夫はちゃっかり山師の松本の元妻(これもまたさっぱりしすぎの「都合のいい一夜限りの相手」)とウワキしちゃって、あーあー、と思ったところで話が終わった。これ、もっと長かったらがっかり来てたかも。

          全体的に古い。この設定や時代のどこを切り取って映像にしたのだろうか?大幅に変えているんだろうな。
          カテゴリ:本棚 | 04:19 | comments(0) | - | - |
          ウンベルト・エーコの本
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            今月、NHKのEテレ「100分de名著」ではウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を取り上げている。

            セットは図書館の談話コーナーのイメージで、背景には本がたくさんある。ゲストにカメラが近寄る時はその人の著作の表紙が見えるように置いてあったりと、かなり本選びには気を遣っている。
            一方、手前はその時に扱っている著者の他の作品が日本語、原書、他の言葉への訳書がある場合はそれも並んでいたりする。

            今月のウンベルト・エーコはさすがイタリアの人だけあって、表紙デザインが一つ一つとても目を引く。その中でも「ウンベルト・エーコの小説講座」  がとりわけ私の目を引いた。

            ダヴィンチ・コード  で有名になった記号論も気になるが、この小説講座も気になる。

            さて、またほしい本が増えてしまった。嬉しい悲鳴だ。
            カテゴリ:本棚 | 04:28 | comments(0) | - | - |
            読みかけの本
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              一昨日、断捨離が進まないと書いたが、その原因の一つは本であるのはわかっている。

              入手した時はおもしろそう!読みたい!と強く思ったから手に入れたのだが、いざ手に入れてみると、もっと前からある、同じくらいまたはそれ以上に強く興味を引かれた本が順番を待っていて、直ぐに手がつけられない。
              そして手をつけずにいると、また次の新しい刺激が仲間入りするのだ。

              それである時、毎週決まった曜日に本を読み始めることにした。
              そして読み終わらなかったら、その時点でさようならしよう、と。

              これは半分だけ守っている。毎週決まった曜日に新しく本を手にとるようになった。
              のだが、やはり読み始めると、どの本も入手しようと思っただけあり、または私をよく知る人から来た本だけあったりと、読書途中で手放すのは惜しい面白さなのだ。

              なので、その本は読みかけのままベッドサイドに、ソファの隣に、本棚の手前の方に、鞄の中に、台所に、定位置が定まる。いつでも読みたくなったら手にとれるように。

              しかし、あいにく、夜は寝つきがよく、ソファに座ると遊んでほしい愛猫が膝に飛び乗り、外出は徒歩か車がメインなのでなかなかページが進まない。

              これをどうにかできないものだろうか、と、ネットの片付け記事を片っ端から読むのだが、子供がいる家庭の片付け方だとか、物の定位置が定まっていない人向けの片付け方などで、あまり参考にならない。

              第一、「一年着なかったらその服はもうさようならしてもいい」というのは毎年、同じだけ暑くなる日本にいるからこその定義であって、今年は猛暑だったが、来年は夏が来るかどうかわからないイギリスでは半袖はそう簡単に捨てられないのだ。実際、今年はもう何年も前から捨てようと思っていたTシャツやポロシャツにずいぶんと助けられたものだし。

              本当に物を減らすのは難しい。いっそのこと断捨離期間とか設定しないほうがいいのかとも思うが、となると、自分が爆発するまで断捨離はできず、かえって効率が悪い。
              意志はあるのだけれど…
              カテゴリ:本棚 | 03:57 | comments(0) | - | - |
              きいろいゾウ
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                稲垣吾郎がジャニーズ事務所を離れてから、変わったことといえば、作家たちとの「共演」が多くなったことじゃないかと思う。「ゴロウデラックス」はなかなか見る機会がないけれど、昔から好きな番組で、よく見ていたこともあり、若手作家たちと吾郎さんが懇意にしているのを微笑ましく思っていた。

                作家たちの中でも特に社交的なのがテヘラン生まれの西加奈子らしい。愛猫家の彼女の元に作家仲間が集まって食事会をしたり、お花見をしたりしているそうだ。そこに吾郎さんも違和感なく交っているのが目に見えるようだ。って特番で見てるな。

                その西加奈子の「色」シリーズの一つが「きいろいゾウ」 である。

                これは宮崎あおいと向井理で映画化されている 

                ツマ(妻利愛子)の見た日常をムコ(無辜歩)が記録している二部形式。それぞれ一人称。プラス、ムコさんの日記じゃない部分と、絵本の童話の部分。童話はそれぞれの章の間に挟まっている。ただ、この童話(?)は漢字こそ少ないけど、語彙が難しく、一体何歳の子供を対象にしたお話なのか、はっきりしない。カタカナの使い方が面白い。

                「最近私は一人になることをずいぶんおろそかにしてる。敬遠してるといえばいいのか。」(P.184)
                最近どころか、もっと長く、何年単位で一人になることをおろそかにしている。むしろ恐れているとでもいうべきか。だから、少しずつ自分と二人きりになる練習をしている。

                解説(P.488)から
                「謎解き」はミステリーの専売特許のように思われているかもしれないが、そうではない。いい小説には、必ず「謎」が用意されていて、読者を物語の中に誘う。読者は「謎」を通じて、著者と一種の共犯関係を結ぶ。
                カテゴリ:本棚 | 05:43 | comments(0) | - | - |
                真昼へ
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                  津島佑子が1988年に書いた私小説的作品。 

                  1988年に書かれた文学なのだが、今でいうとファンタジーになってしまうのではないだろうかと思うほど、定まらない。夢なのか空想なのか、過去なのか今なのか。

                  1985年にまだ10歳に満たない息子である「あなた」を亡くした時の、身を割かれるような苦しい思いをどうして綴るのだろう。綴ることで落ち着く気持ちがあるとはいえ、小説として世に出すにはそんな素人の日記のレベルはとうの昔に超えていて、自分の心さえも他人のもののように観察し、息子と兄や父(太宰治)の死や母との関係を含めて描けるほど落ち着いていなければできないだろう。それを3年やそこらのうちにするとは。

                  でもだからこそ時空間が歪むのかもしれない。

                  泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、後悔して、泣いて、泣いて、泣いて、後悔して、泣いて、泣いて、泣いて、後悔して、分析して、泣いて、泣いて、分析して、泣いて、後悔して、泣いて、分析して、泣いて、分析して、泣いて、分析して、落ち着いて、書き始めて、泣いたのだろうか。

                  「もう甘えちゃいけないんだってことが、分からないのか。お前のお母さんはやっと、安らいだ生活を手に入れることができたんだ。お前の顔などを見たら、それが台無しになるんだ。あれは、あの人だけの家なんだから、それを忘れるなよ。」P.140
                  を読んで、親の家は勝手に片付けてはいけないのだ、と腑に落ちた。

                  彼女は東日本大震災の後、震災文学に参加している社会派でもある。読んでみたいのはこの本 と遺作であるこの作品

                  どうしても異母妹の太田治子と比べられることが多いので、太田治子も読んでみたいと思う。
                  カテゴリ:本棚 | 03:10 | comments(0) | - | - |
                  読書時間と隙間時間
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                    夏の間は忙しかったこともあり、全く顧みていなかったキンドル。
                    そういえば、電池はどれぐらいあったのだろうかと確認したら、虫の息。
                    紙の本は電池不要だし、タブレットは他の使用目的があるので定期的に充電されているが、私のキンドルは本専用なので忘れられやすい。

                    そういえば、と、これまたまた急に思い出して今年読んだ本リストを確認する。

                    最後に読んだ本は6月8日だった。なんとまぁ!基本的に乱読で一度に数冊読みかけの本があるにもかかわらず、10週間以上も読み終わった本が一冊もないなんて。

                    どれも区切りのいいところまでは読んでいるのだが、その前の記憶がいい加減だったり、そんなのはまだいい方で、さっぱり思い出せなかったりする。

                    やはり定期的に読書時間をとらないといけない。それも寝る直前だけでなく、もう少し早い時間に。

                    そこで目をつけたのがランチタイム。つい動画を見てしまうのだが、食事が終わっても番組が終わるまでついダラダラと見てしまう。それだけで終わればいい方で、テレビが主役になってしまうこともある。

                    そして後悔するのだ。

                    しかし、これが読書だったら。
                    食事が終わったところで終わり。区切りのいいところまで読むにしてもせいぜい数分か長くて十分。読書はテレビに比べて自分でコントロールしやすい。

                    そうやって昼間を読書の時間にしたら10日で6冊読了。

                    9月からはこの方法で行こうと改めて決心した。
                    今度は書評を書く時間をちゃんととらないと…これもまた工夫が必要なんだけどね。
                    カテゴリ:本棚 | 04:00 | comments(0) | - | - |
                    きのう何食べた?14巻
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                      やっと入手できた「きのう何食べた?」の最新巻。
                      レシピがメインのストーリーとうまく絡み合っていて、漫画としても面白いし、レシピとしても役に立つ、一冊で倍の楽しみがある本。

                      実際、この漫画に出ていた春巻きやカブとエビの煮つけ、たたきキュウリは何度も作ったし、野菜の揚げ・煮びたしや白だしを使う副菜は既に自分のものとなっている。

                      レシピも兼ねているので、材料は細かく書いてある。それでも「適当に」「冷蔵庫にある調味料全部」とか「なくてもいい」と、漫画として読んでいても邪魔にならない作りなのがいい。

                      レシピ本として秀逸なのが、既製品の「〇〇の素」や「〇〇セット」を使わないこと。めんつゆやカレールーは使ってるけど、それだけではなく、他に何か一工夫している。

                      どうして使わないのかと不思議に思っていたけど、それはレシピ本としてのクオリティーを高めるためというよりも、大人二人暮らしのリアリティーなのだと気がついた。

                      というのも、私が日本製のそういうものをあまり使わないのは、単に割高でしか手に入らないからなのだが、日本に住む働く大人がそれを使わないのはどうやらその量にあるんじゃないか。もちろん倹約家という設定というのも大きいだろう。

                      カレーのルーは16皿分入り。半分残すにしても8皿。肥らないように気をつけている大人の男二人が二晩続けて食べるとしても4皿超えるかどうかだろう。それでも残りの半分は余るし、朝はパン食派の彼らがカレーがあるからといってそんな重いものを食べるとは思えない。

                      そして作る人である筧さんは料理が好き。毎回なんだかんだと理由をつけては副菜を手早く2−3品作っている。そんな人が4日もメインをカレーで済ますはずがない。

                      カレーだけではなく、麻婆豆腐などの中華系だって3−4人前ということになっている。便利で手早くできるが余剰が生まれる。味も均一だ。別な巻ではアジアン鶏飯を作っていたけど、こういうのは使っていなかったし。便利だろうけどね。

                      それらの要素と毎回計量したり先に混ぜ合わせておいたりする手間を天秤にかけて、彼はきっと市販のものを使わなくなったのだろう。実際、14巻には彼が計量していると断定できるカットがない。

                      ふむ、なるほど。
                      カテゴリ:本棚 | 15:10 | comments(0) | - | - |
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